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捨てられてしまった物への気持ちに折り合いをつけたい【ミニマリストおふみの相談室】

2019.05.29


久しぶりに実家に帰省したら自分の物が捨てられていた、という経験はありますか。実家から出て一人暮らしを始めた子どもの部屋というのは、今まで自室がなかったお母さんの部屋になったり、お父さんの憧れの書斎になったりと変貌を遂げることがしばしばあるようです。今回のミニマリストおふみさんによる「おふみの相談室」は実家の自室にあった物が捨てられてしまったKさんからの相談です。捨てられてしまった物、捨てた物と折り合いをつけるにはどうしたら良いのでしょうか。

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社会人になったことをきっかけに実家を出たのですが、3年ぶりに実家に帰ってみると自室が母の部屋になっておりベッドや母の物を置くために私の物が処分されていました。
3年使っていなかったもののため、なくて困るというほどではないのですが、雑貨などは旅行先で買った物などもあるため再度買うこともできず、とても悲しいです。
他にも自分で捨てた服が捨てた後必要となってしまったり、捨てて後々後悔したものがあります。
おふみさんはこのような後悔をしたことはありますか?また、こういった気持ちはどう折り合いをつけたら良いのでしょうか。

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この度はご相談をお送りいただきありがとうございます。
まず、買ったものを捨てられたこと、とてもお辛かったことと思います。自分の意思で処分するならまだしも、人に勝手に捨てられるのはとても悲しいことですよね。心中お察しいたします。……と書いたものの、私は本当の意味でKさんの心中を察することができていないかもしれません。なぜならとてつもなく忘れっぽいため、自分が捨てたものを「残しておけばよかった」と後悔したり、捨てられたものを悔やんだことがないからです。

手元にないものを思い出せない

会社からの帰り道、「今日はスーパーに行こう」と決めて車に乗り込み、そのまま自宅に帰ってきてしまうということを度々繰り返していたほど忘れっぽいので、もう手元にない物を思い出すことができません。旅の記憶や日々の思い出を映像で覚えておくのはどうやら得意なようで、何年の何月に誰が何を着ていてどこでこんなことを話した、というようなことは鮮明に覚えており、友人に驚かれることも多いのですが、物に関する記憶というのはまた脳の別の部位を使うものなのでしょう。もしかしたら目の前にない物のことを思い出すという機能が欠落しているのかもしれません。おかげで「あれ持ってなかったっけ?」と思い出すこともなく、断捨離してあとで「捨てなければよかった」と後悔したこともほとんどありません。

ただ、だからといって人のものは勝手に捨てないようにしています。
夫婦間において私の方が、身軽な暮らしに憧れ始めた時期が数ヶ月早かったために、夫の物が部屋に溢れかえっているのをこの手でなんとかしてしまいたいと思うことも多々ありました。しかし断捨離開始当初から、人の物を勝手に捨てることの危険性は理解していたつもりです。先人のミニマリストブログを読んでいたのですが、人のものを捨てる危険性というのは、いろんな方によって繰り返し語られているテーマでした。

一度でも人のものを勝手に捨てると、信頼を取り戻すのは大変です。家族が何かを探し物する度に「あれ勝手に捨てたんじゃない?」と疑われるようになってしまいます。人間関係にヒビが入る可能性さえあると考えています。「自分は人の物を勝手に捨てない」これは誰かと暮らすなら絶対に念頭に置いておかなければならないことです。その上で、自分がよその家に置いてきた物については、そこに住む人に、物の処遇を決める権限が移ると考えています。

実家に置いてきたものは「人の家に置かせてもらっている」ことを忘れずに

「実家に置いてきた私の物を捨てた」と母から報告を受けたことがあります。主には私が落書きしていたノートだとか、自作していた服の材料である布などだったような記憶があります。(数年前なので捨てられたものすら定かではない。)しかし私は忘れっぽいため、捨てられた物の詳細は一体なんだったのか、例えばそのノートに何が書かれていたのか、さっぱり思い出せません。

布は縦長の缶に入れていましたが、その缶の中にどんな種類の布があったのか全く思い出せません。なので怒りようもないです。というか、怒る権利がないと思っています。実家にある物はそこに住んでいる人が処遇を決める権利があると考えるからです。

家はその時そこに住んでいる人の物です。
その家に住む人が生活しやすいように空間を整える中で、置いていった物が整理されても仕方ない。むしろ、本来なら出て行った人が全ての物を持ってすっからかんにしていくべきところを、「帰省の度に整理するから」という理由で一時的に置かせてもらっているだけなので、仮に全部捨てられても文句は言えないのではないか、と考えています。

もし何らかの理由で、それらの物を実家に置いていけなかったとしたらどうしていましたか?トランクルームに預けるか、処分するかのどちらかを選んでいたのではないでしょうか。トランクルームに預けるとお金が発生しますよね。そもそも空間にはお金がかかるものです。特に都会だとそれが顕著で、例えば広い部屋を借りれば家賃が上がります。実家に物を置かせてもらっているというのは、血縁関係を理由に、その空間を無償で貸してもらっているということ。置かせてもらっているという時点でそこに住む人の空間を借りている状態です。捨てられたくなければ、自分の目の届く場所に移しましょう。トランクルームを借りてもいいし、お金がもったいないと感じるなら処分する。人の家を倉庫として使うのはやめましょう。その空間はその家の住まい手のものです。(と、自分にも言い聞かせて書いています。本棚一箇所分、大学時代のレジュメを残してきてしまっているので。これは追々整理します。)

物を失っても思い出は消えない

>>3年使っていなかったもののため、なくて困るというほどではないのですが、

手元になくて3年間思い出しもしなかったなら、そもそも今の住まいに持って行こうと思わなかった時点で、なくても全然問題ないものなのだと思います。もし仮に「実家をリフォームするので一ヶ月以内に部屋の整理をしてほしい」と言われたら、整理しに行きますか?

例えば帰省するのに往復11時間かかる場所だったとして、この先一ヶ月間仕事の予定が立て込んでいたとしたら、「捨てておいて」って返事してしまいませんか?私ならそう返事してしまう気がしています。手元に置くことを選択しなかった物って、それくらい「あってもなくてもいい物」なのだと思います。仮に今の家にあっても、捨てるか残すか判断しかねるものを入れる「保留箱」に入れるタイプのものなのではないでしょうか。

>>雑貨などは旅行先で買った物などもあるため再度買うこともできず、とても悲しいです。

もう買い戻せない物を失ってしまうと、喪失感が大きいですよね。でも冷静になってください。3年間その物を使わずに暮らしてこられたんです。「物」としてはなくても問題ないはず。私は以前、旅に出る度に「そこで何かを買って帰らないといけない」という固定概念にとらわれていました。その土地の民藝の器だとか、果ては雑貨屋さんでその土地とは関係のないアクセサリーや服を買ったり、とにかく何かしらの物を、自分あるいは自宅へのお土産として買わなければいけないと思い込んでいました。「せっかく旅行に来たのだから思い出になる物を」と。

しかし旅先だからといって買い物の判断基準を下げるわけにはいきません。自宅に持ち帰ったら、旅先買った物だろうがそうでなかろうが、物は物です。ただでさえ生きているだけで物はどんどん増えていくので、本当に使う物だけ厳選して家に入れるようにしないと部屋中物だらけになってしまいます。前々から欲しかったもので、そこでしか買えない物ならもちろん買うべきですが、思い出になんとなくという買い方をしたものは結局使いこなせずに手放す結果になることが多かったので、形に残るお土産物は買わないと決めました。消えものを、それも旅先でおいしく食べて記憶に残すことができたなら、それでいいと考えるようになりました。

物を失っても旅の記憶は消えません。それに、物に頼らなくても、写真に残っているのではないでしょうか。写真がなくたって、旅の思い出はKさんの記憶に残っているはず。

今の住まいに持ってこなかった時点で一軍じゃない

>>他にも自分で捨てた服が捨てた後必要となってしまったり、捨てて後々後悔したものがあります。
>>おふみさんはこのような後悔をしたことはありますか?また、こういった気持ちはどう折り合いをつけたら良いのでしょうか。

まず、捨てた服を覚えていらっしゃるのがすごいなと思いました。私は持っている服すら覚えていませんでした。実家を出て数年経つものの、実家のタンス2段分がまだ私の服で埋まっていました。いつか整理しなければと思いながら時が経ち、昨年秋にようやく手をつけました。

そして何着も手放したのですが、そのほとんどは「こんなの持ってたっけ?ああ、まだ捨ててなかったのか」と、持っていることすら忘れていました。服に関して言えば、3年も経っているので経年劣化していますし、流行のシルエットとも変わってきているはず。そもそもこの3年間手元になくても困らないくらい、二軍のものだったはず。一軍のものなら今の住まいに持ってきていますよね。

自分で捨てていれば後悔もなかったのかもしれません。もしかしたら、自分以外の手によって捨てられたことで、記憶が補正されて価値が上がってしまっている部分もあるのかもしれません。叶わなかった恋が美化されるように。

今の住まいに持ってこなかった時点で、全てのものは二軍です。一軍でないものは、手元にあってもなくても問題ないはず。どうかそれを忘れず、今の生活を一軍で囲んで、充実したものにしてください。

人生は過去を生きられません。昨日を生きることも、三日後を生きることも、一年後を生きることもできず、今しか生きられません。ターンオーバーで肌の細胞が入れ替わっていくように、生活に必要なものも入れ替わっていきます。そうやって新陳代謝したと思って、今の生活に必要なものを持って暮らしていきましょう。そんな風に気持ちの折り合いをつけてもらえたらいいなと思うのですが、いかがでしょうか。Kさんが後悔から解放されて、今を楽しく暮らせますように。

おわり。

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